令和03年08月14日(土)、雨!
8月9日から8月14日まで、とある病気にて〇〇〇の疑いで、摘出手術のため入院でした。
結果は、肺腺〇〇と決定されました(なんてことだい(◎_◎;))。でも仕方ないね。今の世の中二人に一人は〇〇になると言われていますからね。2分の一の確率です。その半分になってしまった私です。けど、これってほんとかな~~ぁ。私の周りで関わる人は多いけど2分の一になるほど〇〇の人はいなくて元気なんだけどな~~ぁ。と思いつつも、ここはあきらめて、先を見るしかありません(*´▽`*)!
★8月9日、我が僕ちゃんに大学病院に送ってもらい、午後1時着。受付を済ませる。
予定時間は午後2時なので、午後2時まで適当に待たされた。
午後2時病棟5階の8号室に案内されて、ここが私の病床となるのでした。
呼吸器外科ですよ。これ見れば、わかる人はわかるのでしょうね。私の病名!
貧乏我が家では、個室なんてありえません。大部屋ですよ。
せめてもの救いが窓際の一室。これはありがたかったです(^O^)/
入院初日。明日からの手術を思うと気は重いですが、まだ、初日は天国すよ。
実はね、外科手術はこれが三回目。もう体ずたずたです。年相応以上に悲鳴をあげていますよ。
きっと私の寿命なんて短いかも。なんて思いながらもお医者さんにすがる思いで、我慢します。
明日は手術。でも今日は入院初日楽勝です。出された夕食も完食しました。そして爆睡です。
★9月10日手術の日です。朝ごはんは撮り忘れました。というよりも不安がいっぱいでそんな気になれませんでした。
そして、あっという間に手術の時間です。
午前9時半。身支度を整えて看護師さんに付き添われて、自ら歩いて手術室へ。
手術室のあるエリア!。色彩はあるもののコンクリートの壁にアルミの両開きドアの前に立ち、無機質だな~~ぁと感じつつも扉が開く。
病室から一緒に来てくれた看護師さんに””頑張って、行ってらっしゃい””って激励されて、肩を押される。
手術エリアから出てきたスタッフに入れ替わり、案内される。見送ってくれた看護師さんを振り返ると、さっき出会ったばかりなのに愛おしさを感じてしまった。””一緒に来てヨ~~ぇ””なんて、小心者です('ω'*)アハ♪
スタッフに導かれるまま前へと進む。いや~~ぁ。なんだこの空間は。。。。無機質なアルミの扉でしきられる手術室がいっぱいだ。それぞれにアルファベットの番号は付されていた。まるで処刑室が並んでいるようにも感じられた。馬鹿だな~~ぁ、ここは病院だぞ。刑務所じゃないんだからって心に言い聞かせながら、進む。
そして、案内された手術室がG室だった。Gって、どんだけ手術室があるんだよ~~ぉ。って、思いながらも、エリアの中を行き来するスタッフの多さに、なるほどな~~ぁ。なんて変な関心をしてみたりしたが、手術へのプロセスはあわただしく進んでいった。
G室の真ん中の手術台の上に寝かされると、直ぐにつけていた眼鏡、マスク、パンツも脱がされて・・・全裸状態。真横にさせられて、背骨にいくつもの針を刺される。そして仰向けにされると””眠くなる薬をね~ぇ””と説明しながら酸素マスクを口と鼻に当てられた瞬間から、記憶が無くなったのでした。
・・・手術
・・・手術(俎板の鯉状態)
・・・手術
気が付くとICU(集中治療室)というところに来ていた。
手術は終わっていたのだ。””おおこれが全身麻酔という奴か~~ぁ””って感心するも、麻酔から目が覚めた自分の体からは激痛が走っていた。痛い、苦しい~~ぃ。でも頑張るしかない。じっとして、動きも制約されている。寝たいが寝られない。少しずつ時間が経過してゆく。時々睡魔に襲われる。けれどここはICU(集中治療室)だ。術後の患者だけではなく今まさに運び込まれてきた人たちもいるのです。
けたたましく鳴り響くシステム機器の音。唸る人の声。一口の水も飲めず口が乾ききっている。そしてスッタフがやり取りする慌ただしい会話。””〇〇さん、わかりますか、右足を上げてください。気が付いたのですか、あれから一ヶ月たっていますよ。今はもう8月です。””なんて声も聞こえてきた。そんな人もいるんだ~~ぁ。自分は辛いけどまだまだ良い方だな””なんて感じつつも、朝が来るのが待ち遠しかった。
★8月11日午前8時ころ、やっと朝を迎え主治医が来てくれた。
経過良好とのお言葉をいただき、病床へと戻ることになった。
午前11時ICUの数名のスタッフから、病棟のたった一人の看護師へ私が引き継がれる。
病棟の看護師は、車いすの私と、点滴を吊るす車台をいとも簡単に操り、エレベーターを使って我が病室へ!
我が体には、まだドレーンと言われる管が突き刺さったまま、熱も引かず、術個所は痛みに耐えている状態。寝返りが打てない仰向け状態でベットの上で過ごす。が、もうこの時からリハビリは始まってっている。自分でトイレに行き、自分一人で食事をする。これが辛かった。
お昼の食事は撮ることが出来なかった。まだ術後間もないことから食欲もわかず、半分も食べれなかった。夕食も同じ(おかゆとかじゃなくて、ごく普通の献立!)
この夜は、痛みに耐えながら仰向けのまま夜を過ごす。ほぼ寝られなかった。
★8月12日
朝食半分も食べれなかった。
昼食(約半分を食す。御飯が多すぎ!)
これ、夜食。ドレーンと言われる胸の奥の余分な液体を排出する管もつけたまま。腕には点滴もつけたまま。煩わしい時間を過ごす!
そして、この夜もほとんど寝ることできす、辛くて長い夜を過ごした!
★8月13日
朝、昨日と変わらず。ただ昨夜からの寝不足で頭が重い!
これ、朝食。パンは嬉しかった。牛乳で流し込めたので(*´▽`*)!
午前中にドレーンと点滴が外された。いや~~ぁ、これだけでも快適だった。
これ、昼食!
午後は、理学療法士によるリハビリも始まった!
歩いたり立ち止まったりして、肺に多くの空気を取り込むためのリハビリを行う!
そして、痛み止めの注入薬キットも体から外される。すべて解放された。
これ、夕食!
★8月14日
診察結果、すべて良好につき、退院決定。
最後の病院食(朝食)。
この納豆が絶品だった。病院食はお世辞にも旨いといえなかったけど、最後の最後にこの納豆は美味かった(^O^)/
最後の回診。
先生お世話になりました。あなたたちはほんと命の恩人ですね。
最後に、””変なことをお尋ねしますが・・・・。退院後お酒は飲んでもイイの””っておそるおそる聞いてみた。
にこやかな笑顔で・・・、大丈夫(*´▽`*)!って言ってくださりました((´∀`*))ヶラヶラ。
今回の入院で、お医者さんってなんて素晴らしいのだろう。人の命に係わるお仕事をしみじみと感じて、尊敬いたしました。
私にとって、総理大臣よりも、ほんと頼りになる存在だと感じました。
医療スタッフの皆様、コロナで大変な時を過ごされていると思います。
コロナでなくても、人の命に係わる大切なお仕事、本当にご苦労様です。
世の中で一番頼りになる存在だとつくづく感じました。
本当に、本当に(*´∪`*) ありがとぉね♪♪(@^^)/~~~
8月9日から8月14日まで、とある病気にて〇〇〇の疑いで、摘出手術のため入院でした。
結果は、肺腺〇〇と決定されました(なんてことだい(◎_◎;))。でも仕方ないね。今の世の中二人に一人は〇〇になると言われていますからね。2分の一の確率です。その半分になってしまった私です。けど、これってほんとかな~~ぁ。私の周りで関わる人は多いけど2分の一になるほど〇〇の人はいなくて元気なんだけどな~~ぁ。と思いつつも、ここはあきらめて、先を見るしかありません(*´▽`*)!
★8月9日、我が僕ちゃんに大学病院に送ってもらい、午後1時着。受付を済ませる。
予定時間は午後2時なので、午後2時まで適当に待たされた。
午後2時病棟5階の8号室に案内されて、ここが私の病床となるのでした。
呼吸器外科ですよ。これ見れば、わかる人はわかるのでしょうね。私の病名!
貧乏我が家では、個室なんてありえません。大部屋ですよ。
せめてもの救いが窓際の一室。これはありがたかったです(^O^)/
入院初日。明日からの手術を思うと気は重いですが、まだ、初日は天国すよ。
実はね、外科手術はこれが三回目。もう体ずたずたです。年相応以上に悲鳴をあげていますよ。
きっと私の寿命なんて短いかも。なんて思いながらもお医者さんにすがる思いで、我慢します。
明日は手術。でも今日は入院初日楽勝です。出された夕食も完食しました。そして爆睡です。
★9月10日手術の日です。朝ごはんは撮り忘れました。というよりも不安がいっぱいでそんな気になれませんでした。
そして、あっという間に手術の時間です。
午前9時半。身支度を整えて看護師さんに付き添われて、自ら歩いて手術室へ。
手術室のあるエリア!。色彩はあるもののコンクリートの壁にアルミの両開きドアの前に立ち、無機質だな~~ぁと感じつつも扉が開く。
病室から一緒に来てくれた看護師さんに””頑張って、行ってらっしゃい””って激励されて、肩を押される。
手術エリアから出てきたスタッフに入れ替わり、案内される。見送ってくれた看護師さんを振り返ると、さっき出会ったばかりなのに愛おしさを感じてしまった。””一緒に来てヨ~~ぇ””なんて、小心者です('ω'*)アハ♪
スタッフに導かれるまま前へと進む。いや~~ぁ。なんだこの空間は。。。。無機質なアルミの扉でしきられる手術室がいっぱいだ。それぞれにアルファベットの番号は付されていた。まるで処刑室が並んでいるようにも感じられた。馬鹿だな~~ぁ、ここは病院だぞ。刑務所じゃないんだからって心に言い聞かせながら、進む。
そして、案内された手術室がG室だった。Gって、どんだけ手術室があるんだよ~~ぉ。って、思いながらも、エリアの中を行き来するスタッフの多さに、なるほどな~~ぁ。なんて変な関心をしてみたりしたが、手術へのプロセスはあわただしく進んでいった。
G室の真ん中の手術台の上に寝かされると、直ぐにつけていた眼鏡、マスク、パンツも脱がされて・・・全裸状態。真横にさせられて、背骨にいくつもの針を刺される。そして仰向けにされると””眠くなる薬をね~ぇ””と説明しながら酸素マスクを口と鼻に当てられた瞬間から、記憶が無くなったのでした。
・・・手術
・・・手術(俎板の鯉状態)
・・・手術
気が付くとICU(集中治療室)というところに来ていた。
手術は終わっていたのだ。””おおこれが全身麻酔という奴か~~ぁ””って感心するも、麻酔から目が覚めた自分の体からは激痛が走っていた。痛い、苦しい~~ぃ。でも頑張るしかない。じっとして、動きも制約されている。寝たいが寝られない。少しずつ時間が経過してゆく。時々睡魔に襲われる。けれどここはICU(集中治療室)だ。術後の患者だけではなく今まさに運び込まれてきた人たちもいるのです。
けたたましく鳴り響くシステム機器の音。唸る人の声。一口の水も飲めず口が乾ききっている。そしてスッタフがやり取りする慌ただしい会話。””〇〇さん、わかりますか、右足を上げてください。気が付いたのですか、あれから一ヶ月たっていますよ。今はもう8月です。””なんて声も聞こえてきた。そんな人もいるんだ~~ぁ。自分は辛いけどまだまだ良い方だな””なんて感じつつも、朝が来るのが待ち遠しかった。
★8月11日午前8時ころ、やっと朝を迎え主治医が来てくれた。
経過良好とのお言葉をいただき、病床へと戻ることになった。
午前11時ICUの数名のスタッフから、病棟のたった一人の看護師へ私が引き継がれる。
病棟の看護師は、車いすの私と、点滴を吊るす車台をいとも簡単に操り、エレベーターを使って我が病室へ!
我が体には、まだドレーンと言われる管が突き刺さったまま、熱も引かず、術個所は痛みに耐えている状態。寝返りが打てない仰向け状態でベットの上で過ごす。が、もうこの時からリハビリは始まってっている。自分でトイレに行き、自分一人で食事をする。これが辛かった。
お昼の食事は撮ることが出来なかった。まだ術後間もないことから食欲もわかず、半分も食べれなかった。夕食も同じ(おかゆとかじゃなくて、ごく普通の献立!)
この夜は、痛みに耐えながら仰向けのまま夜を過ごす。ほぼ寝られなかった。
★8月12日
朝食半分も食べれなかった。
昼食(約半分を食す。御飯が多すぎ!)
これ、夜食。ドレーンと言われる胸の奥の余分な液体を排出する管もつけたまま。腕には点滴もつけたまま。煩わしい時間を過ごす!
そして、この夜もほとんど寝ることできす、辛くて長い夜を過ごした!
★8月13日
朝、昨日と変わらず。ただ昨夜からの寝不足で頭が重い!
これ、朝食。パンは嬉しかった。牛乳で流し込めたので(*´▽`*)!
午前中にドレーンと点滴が外された。いや~~ぁ、これだけでも快適だった。
これ、昼食!
午後は、理学療法士によるリハビリも始まった!
歩いたり立ち止まったりして、肺に多くの空気を取り込むためのリハビリを行う!
そして、痛み止めの注入薬キットも体から外される。すべて解放された。
これ、夕食!
★8月14日
診察結果、すべて良好につき、退院決定。
最後の病院食(朝食)。
この納豆が絶品だった。病院食はお世辞にも旨いといえなかったけど、最後の最後にこの納豆は美味かった(^O^)/
最後の回診。
先生お世話になりました。あなたたちはほんと命の恩人ですね。
最後に、””変なことをお尋ねしますが・・・・。退院後お酒は飲んでもイイの””っておそるおそる聞いてみた。
にこやかな笑顔で・・・、大丈夫(*´▽`*)!って言ってくださりました((´∀`*))ヶラヶラ。
今回の入院で、お医者さんってなんて素晴らしいのだろう。人の命に係わるお仕事をしみじみと感じて、尊敬いたしました。
私にとって、総理大臣よりも、ほんと頼りになる存在だと感じました。
医療スタッフの皆様、コロナで大変な時を過ごされていると思います。
コロナでなくても、人の命に係わる大切なお仕事、本当にご苦労様です。
世の中で一番頼りになる存在だとつくづく感じました。
本当に、本当に(*´∪`*) ありがとぉね♪♪(@^^)/~~~
それでも今は、少しでもペットを開けないと病院は大変な状況ですよね 。
さあ あまり考えすぎないように!
考えれば考えるほど、暗いこと心配なことばかりが出てきます 。顔を上げて背中を伸ばして 、生きていきましょう 。お互い